aurorae:
“Awa Dancing Festival (by haru)
”

 スタジオジブリの宮崎駿監督(74)が、16日放送のTBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」(月~金曜午後3時半)内でインタビューに応じ、長編アニメーションから引退した真意をあらためて語ると同時に、近況などを語った。インタビューは同監督のアトリエ「二馬力」で収録されたという。

 宮崎監督は、インタビュアーのジャーナリスト青木理氏から「引退されて、アニメはもうやらんぞ、というご気分ですか」と聞かれて、綿々と語った。

 「短いものは、美術館の仕事がありますから、作る可能性はあると思います。ただ…まぁ、いいときに辞めると言った。フィルムがなくなった。アニメーションにコンピューターが入り込みすぎて、スタッフも脳みそがコンピューター化してる。そういう時に行き合わせて、もういいよ、という感じが僕の中にありますから。これで無理して手書きの現場を作る必要があるだろうか、というのと無理してCGでセル画風に画面を作るとかね、そういうことをやる意味があるか…と言ったら、ないですよね。もう隠居していい年だから、それはやらない。それは、それでいいと思います」

 また「アニメーションには、やりたくないことがいっぱいある。何だこりゃ、という画がある…ささいなことでも(気になる点が)あるんですよ。直さないといけない。映画の効果としては0.1ミリだけど、映画の仕上がりで1ミリ違ってくる。長編はしんどい」と、妥協のない製作スタイルを、長編で貫くのはきつくなってきたと吐露した。

 近況については「週休2日になってます。ここに来て働いてるのかと言われると、働こうと努力するけど、薪を割ったり、隣の保育園をのぞきに行って邪魔したり」と冗談めかして話した。その後、今、主に携わっている三鷹の森ジブリ美術館について語り出した。

 「美術館の仕事が難題でして。企画展示というコーナーがあり、何で埋めるか、思いついてしまうもので提案すると、思い通りにならなくなって。今、やっているのは江戸川乱歩の小説『幽霊島』を、美術館の中に建てちゃおうというばかげた話で。僕は大好きで、子どもの頃に貸本屋で借りたんですけど。「ルパン三世 カリオストロの城」を、ずいぶん前に作ったんですけど源流は『幽霊島』です」

 また、イスラム国の問題など、昨今の世界情勢についても持論を展開した。

 「大量消費という文明そのものに問題があるんですよ(中略)金があれば何でも買えるんだ、安いものが正しいんだ…それが最低なんですよ。政治思想も何も、その元になっている生活そのものが、本当に最低になっていると思う。こんな民族に、ろくな判断がつくわけがない。大量消費文明が息詰まりつつあるから、あちこちで騒ぎが起きているんだと思う。(中略)今のイスラム国の問題も、日本のやたらに札束を吸っているような経済の運営の仕方も、末期的症状の前駆的症状だと思う」

 「世界的な無秩序は、これからさらに起こってくるだろうと思う。そういう時に(首相の)安倍さんの言うことはシンプルすぎる、という懸念は僕は持っている。もう少し腹に複雑なものを抱えてやらないと。そういう時、平和憲法って役に立つんですよ。憲法を守らなきゃいけないんでね、ちょっとそっちに行きたいけど、行けないんですって」

「前と同じ論法で、平和憲法を守っていれば平和になるんだ…というような考え方でやれるほど、世の中は甘くなくなってきているのは確かだと思う。いろいろな要員が増えて、膨らんでうごめいている時期に来た。どう渡っていったらいいか…ということだと思う。僕は簡単に言うと、日本が世界の真ん中においた地図を作らないで、隅っこに置いた地図を作る。基本的に、今、ゴチャゴチャになっている中近東、中欧の折り重なった歴史に比べれば(日本の歴史は)単純だと思います。何が一番問題化といったら、帝国主義の時代、日本も自分たちが支配されないように努力した結果、自分たちも帝国主義のマネをした。結果的に300万人の死者を出す戦争をして、原爆を2発落ちる目にあった。隣の国の恨みは消えてない。法的に解決しても、くすぶっている。それも何とかしなければいけないことなんですが、世界全体の歴史から見ると、ずいぶん分かりやすい歴史なんですよ。それが、僕らが地政学上、一番端っこにいる良さだと思う。(中略)知恵で何とかやっていける場所にいると思いますよ、日本は。民族と宗教が入り乱れてグシャグシャになって、しかも自然破壊とどうしていいか分からない人口を抱えて、やってる国に比べたら、日本は何とかなると思います」。

(出典: nikkansports.com)

mojikei:
“ [高知県いの町本川]
なんて可愛い文字なのだろう。現在の名前は長沢ダム、竣工当時は長澤堰堤。このダムは戦時中さなかに作られたダムであり、どこかに携わった人々の誇りを感じる。とりあえず、長澤フォントと名付けておこう。
—-
タケムラナオヤ(高知市)
”

attrip:
“ シベリアンハスキーがはしゃいでる決定的瞬間 | @attrip (アットトリップ)
”

いやされる

つぶれてしもた。

間も無く開演なり。
八代農村歌舞伎。
#四国文字景 (八代八幡宮)

 JR別府駅北側の高架下にある築47年の小さな商店街「北高架商店街」に異変が起きている。2011年3月には全13店舗のうち9店が空き店舗という典型的な「シャッター通り」だったが、若手商店主の出店が新たな出店を呼び込み、今月5日の美容室の開業で空き店舗はゼロに。カフェや雑貨、服飾など若者向けの店舗に老舗の飲食店も混在、老若男女が集う商店街の店主たちは「にぎわいを一過性にせず、周囲にも広げたい」と張り切っている。

 ■復活の象徴に

 商店街は1966年、駅周辺の高架化とともに開業。約50メートルの通路両側に4~8坪ほどの小さな店が並び、当初は全てが飲食店だった。しかし、別府観光の衰退とともに空室が増え、老朽化も重なり、管理会社には解体して駐車場にする考えもよぎっていたという。

 流れを変えたのは2人の商店主の出店だった。木部真穂さん(42)は同商店街に思い入れのあった地元出身の夫とともに2011年4月、商店街入り口の角地にカフェを出店。「より多くの人が集う場所にしたい」と店内に作家の芸術作品を展示。夜などは別の人に店を貸し、カフェバーに姿を変えた店は昼とは違う客層も集めている。

 地元出身の日名子英明さん(43)は同年8月にレコード店を開店。「古くて暗くて決していい物件ではなかった。北高架が別府の衰退の象徴のように感じられたからこそ、あえて出店して街の復活の象徴にしようと思った」と理由を語った。

 ■イメージ一新

 2人は商店街のイメージの一新に乗り出す。木部さんは管理会社の協力を得て、地元の画家に依頼し、商店街の壁や柱に絵を描いた。日名子さんは昨年4月から毎週土曜日に商店街の通路でフリーマーケットを開催。新たな客を商店街に呼び込むのに成功。さらに出店者が商店街を気に入り、洋服店を開店。昨秋は空き店舗を地元の芸術イベントの会場に。訪れた別府市の山形裕子さん(41)が「駅に近いし、個性的な商店や経営者がいることも魅力的」とその空き店舗に今年1月に雑貨店を開店するなど、若手店主の出店が相次いだ。

 ■不思議な空間

 新たに出店した店主がファッションショーを開くなど、斬新なイベントが相次ぎ、商店街には客足が絶えない。

 このような若手店主の取り組みに、1978年からラーメン店を営む広戸敏雄さん(69)は「さびれていた商店街に活気が戻った。若い店主には『大いにやって』とお願いしている」と歓迎。フリーマーケットに出店した日出町の山田彩さん(35)も「おしゃれな店も昔ながらの店もあり、新鮮さも落ち着きも感じられる不思議な空間が魅力」と気に入っている。

 しかし、北高架が栄えても、別府の中心街には空き店舗が多い。日名子さんは「商売を続ける姿を見せることで『別府に店を出したい』と考える人を増やしたい」と話している。

=2013/09/23付 西日本新聞朝刊=

tetsu’s top: January 2009

(出典: terusakura.air-nifty.com)

mojikei:
“ [高知県安芸郡奈半利町]弘瀬印刷所
高知県東部の小さな港町にも、活字の宇宙が。現在2代目の弘瀬さんのお父さんが昭和39年から始めた。お父さんのお兄さんは戦前より「東京堂印刷」というユニークな名前で印刷所をしていたが、戦時中に機械を全て没収されてしまったのだそう。
”

「あまちゃん」はテーマパーク消費?(3)〜情報の「めまい」に耽溺する視聴者(新井克弥) - BLOGOS(ブロゴス)

(出典: blogos.com)

「あまちゃん」はテーマパーク消費?(2)〜「潮騒のメモリー」のひみつ(新井克弥) - BLOGOS(ブロゴス)

(出典: blogos.com)